Tiny seed.

~わたしが疑問に思うこと 

夏の思い出 ~記憶の引出し

夏の午後、やることもなく「瞑想でもしてみるか」

とリビングで窓を開けてあぐらをかいてみた、

このあぐらさえもなかなかうまくいかず、座りの態勢だけでも一苦労だ。

 

子どもの塾の弁当づくりのミッションでいつもより朝がはやく、

夏の暑さで頭がボーっとし、うすうす頭痛もするが、少し目を閉じてみた。

かすかに蝉の鳴き声がし、マンションの樹木が揺れる感じがする。

さっそく瞑想は離脱し、頭の中に5歳くらいまでは夏に遊びに行った、

信州の祖母の家から見た山の風景が浮かぶ。

 


子どもの頃は虫も、古い100年ものの祖母の家も苦手だった。

トイレは汲み取り、水は湧き水、広い土間、その土間に渡しの板があり、

その先に台所、味噌蔵、お風呂は薪で焚く底が抜けるものだ。

このお風呂が子供には恐ろしく、

床板が抜けると真っ暗な底なし沼のように感じて、

恐ろしくてよく覗いたことはなかった。(フチにつかまり生還した)

奥の部屋にはあまりいったことはなく、おばあちゃんの聖域のような感じと、

薄暗くて怖いので、居間の明るい決まった場所にしかほとんどいなかった。

壁には大正時代の新聞がなぜが張り付けたところがあったり、

裏庭には鯉のいる池(一度すべって落ちた)、

隠し階段で二階に行くと、一度だけ機織りを見たことがあった。

別な年に、また見たいと思い二階に行ったが、機織りはもうなくなっていた。

(これもトワイライトゾーンのひとつだ)

 

おもて側には、とうもろこしと、シソ、なす、とまと、あんずの樹が

植えらており、とうもろこしをよく食べた。

こどもの私は、暇つぶしにトンボになぜか無理やりとうもろこしを

食べさせるということをして遊んでいた。(あのときのトンボごめんなさい)

 

ある日、朝ごはんにあんこの練りこまれた?おはぎの残骸のようなものが、

当たり前のようにお茶碗によそわれて並べられており、

ひどく驚いたが、田舎では不思議な事が起こるものだと、

こどもながら郷に入っては郷に従え、

おばあちゃんにご飯を残すなんて「もったいない」と叱られるに違いない

と思っていたわたしは、たぶん残さず食べた。

焼いたトマトも、カレーに混入していたりんごも(巨大な玉ねぎだと思っていた)

がんばったが、ヤギの乳だけは断った。そもそも牛乳が苦手であるのに、

ヤギはちょっと…断固拒否だ。

柱のボンボン時計と、地元ニュースが流れる有線放送も完備だ。

 

今でこそ東京から新幹線で軽井沢もあっという間であるが、

昔は母と、上野駅から出発し上田というところまで行ってからひどく本数の

少ないバスを待つという長旅であった。

途中の横川駅でおぎのやの「峠の釜めし」を母が買ってきてくれるのだが、

停車時間が短く、いつも「間に合わなっかたらどうしよう…」と心配で、

外をずっと眺めていた、この釜めしは世界で一番の駅弁である。

今はなくなったプラスチックの容器に入れられた緑茶も定番だ。

気が向けば冷凍ミカンも食べたと思う。

 

上田の駅に、一度だけ祖母が迎えに来てくれたのだが、駅と間違えて

イトーヨーカドーで迷子になった騒動があったようだ。

ヨーカードーで迷子、謎である。

この上田の駅の土産がむかしはパッとしないと思っていた、いまと違い

趣向を凝らしたお菓子などはなく「みすずあめ」とネットに入った「くるみ」

の記憶しかない。(こどもだったのでスミマセン)

 

プルーストの「失われた時をもとめて」のマドレーヌが

わたしにとってはこの釜めしなのだろうか。

いまのわたしは田舎というものを失った、祖母の家ももうなく、

主人の実家も両親がなくなったので、空きやにせず取り壊した。

自分の母も田舎に住んでおらず、近所のマンションに住んでいるからだ。

 

記憶というものは大変不思議なものだ。

もうとっくに忘れていたと思っていても不意に記憶がよみがえる、

勝手な分析では人は体験したことはすべてどこかに収納されているので、

何かをきっかけに思い出す仕組みだと思う。

懐かしい味、香り、風景。

 

またあの田舎に行ってみたいと思う。

 

harpmoon.hatenablog.com